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筆の起源

私たち胎毛筆販売部は商品として胎毛筆を扱っていますが、
そもそも、胎毛筆もたくさんの種類がある「」の中の一つにすぎません。
では、その「筆」とはいったい、どのような起源から
生まれてきたものなのでしょうか?

ここでは、その「筆」について深く追求していきたいと思います。

「筆」という名、字源について。
 まず「筆」という名、字源を調べてみますと、その由来の古くは「倭名鈔」に布美天(ふみで)と記して文手(ふみで)の意を表していますが、
これを音読みで「ふんで」ともいい、略して「ふで」となったのではないかと考えられています。

 字源から見ますと、フデの形を象った「聿」に始まりますが、後、これに竹を加えて筆となりました。

 大昔は木でも竹でも墨を含ませて字を書くもの、すべてをみな「筆」としていましたが、中国は秦の時代、後述する起源から枯木の管に鹿毛を柱としてこれに羊毛を被せる新技術の発祥から毛筆となりました。
 従って文字も、「筈」、「毫」とも表したりもします。
 
「筆」というアイテム、その起源について。
 筆の起源は古く、6000年もの昔、中国新石器時代の彩色陶器に施された文様には原始的な「筆」のようなものがあったとされています。
 しかし、現在知る事が出来る一番古い現物は紀元前400年頃のものでしかありません。
 また、筆の現物は見られないまでも、中国文化発祥のころ、紀元前4000年頃の仰韶(ヤンシャオ)文化の土器の彩絵にはすでに筆のようなもので描かれた跡が観察されています。
 そして、紀元前1000〜2000年頃には石、鉄などを錐(きり)のようにとがらせて岩壁や獣骨等に象形文字、獣骨文を彫りつけるのに使用されたものも確認されています。

 その後樹脂(漆等)を現在を墨のように用いることを考え出し、竹、木等の先を尖らし、又は焼き、捌いて文字を書くようになりました。ここまでは毛筆ではなく聿又は筆の範囲です。

 よく言われている毛筆の起源は、中国の伏義氏の時代の人、中国太古三皇の一人、黄帝の側臣である蒼頡(そうけつ)だという説もありますが、この頃は「聿」であり、一般には秦の始皇帝(約2300年前)の時代、蒙恬(もうてん)将軍が、枯木を管(じく)とし、鹿毛を柱(しん)に、羊毛を被(おおい)として作った筆(獣毛筆)を始皇帝に献上したのが毛筆の始まりとされています。
 しかし、実際には前述のように、さらに古い時代から作られ使用されていたとする形跡も残っています。
 
わが国における「筆」の歴史。
 嵯峨天皇の世、弘仁2年(811年)弘法大師(空海)が遣唐使であった頃、唐で毛筆の製法を修め、帰朝後に日本に広まったと考えられています。 空海が大和国今井(現在の橿原市)の住人酒井名の清川に伝え、柔剛四管を作らせ嵯峨天皇に奉献したという記録もあり、この記録(古文書:性霊集・奉献筆表一首)は弘法大師の真筆で、現在も京都醍醐寺の三宝院に所蔵されています。この文献により、大和での毛筆の製造が始まったことが確認され、同時に大和が毛筆製造の鼻祖をなしたことも明らかになりました。空海ならびに坂名井清川は、わが国における製筆の開祖という訳です。

 その頃の毛筆は、諸国の別貢もあり諸司への配付に墨と共に数を定めています。紙墨と共に当時は貴重品であったと想像されます。
当時、筆子とよばれる筆匠の行う製筆は天業とされ、朝廷に「御筆司所」が置かれて、臣下の請願によって必要に応じ一管の筆を下げ渡すというほど、筆は貴重品であったと伝えられています。

  現存するわが国最古の筆は、奈良正倉院所蔵の、天平筆、雀頭筆とされており、この筆は芯の毛と紙を丹念に交互に巻きつける当時の製法を示しております。
 これらの筆の中で一番大きなものには、筆管(筆軸)の長さが56.6cm、管径が4.3cmというとても大きな筆が残っています。これは大仏開眼会に用いられたのではないかといわれています。また、この筆以外にも17本の筆が現存しております。
 筆の毛(筆毫)の素材は、うさぎ、たぬき、鹿などが使われていましたが、逸失したものの中には羊やきつねの毛のものもあったようです。

 徳川時代になると、ますます筆の需要は増加して米沢藩等の下級武士、江戸の御家人等の内職としても製造されるに至りました。江戸時代と云うだけで年代がはっきりしていないのですが、細井知慎(別名広沢)という者が始めて純毫の筆、つまり水筆を造りました。

 それまでは紙を巻いて柱としてこれに獣毛を被せた天平筆、雀頭筆、延喜筆、米庵筆、延文筆等のように、すべて紙巻筆でした。
 この水筆の出現によって、その後はこの方法による毛筆が多くなり、特にこの時代、書を学ぶことが盛んになって各国、各所で毛筆の製造が行われるようになりました。

 明治維新後には、中国との技術交流が盛んに行われた結果、水筆の外に捌筆も製造され、書道の興隆にあわせ、その書風・書法にあった、大小・長短・柔剛、数百種に及ぶ多様な種類の現在の毛筆となりました。

 製筆技術も改良され、捌筆、糊で整形された仕上筆と、幾多の変遷を経ながら学制の普及発展と併行して躍進的な発展を遂げましたが、造筆作業そのものは、伝統的な家内工業とし筆匠の手に着実に継承され今日に及んでいます。
 
毛筆の種類
 毛筆は使用する毛によって、昔から言われている種類は、兎毛筆・狸毛筆・羊毛筆・鹿毛筆・馬毛筆・虎毛(猫毛)筆・鼬(いたち)毛筆・貂(てん)毛筆・栗鼠(りす)毛筆・ムササビ毛筆・山羊(やぎ)毛筆・鼠(ねずみ)毛筆・ケイ毛筆・夏毛筆・冬毛筆・竹筆・藁(わら)筆などがあります。

 管(軸)の種類から出たものに、白管筆・黒管筆・斑竹筆・松筆・萩筆・丹管筆・蒔絵(まきえ)筆等があり、用途で名の代わるものに、
堺筆・水筆・絵筆等があります。

○筆の姿や形からみた筆の一例。
・長鋒筆(ちょうほうひつ)…穂先の長い筆
・短鋒筆(たんほうひつ)…穂先の短い筆
・大筆(おおふで)…半紙に四字から六字くらいを書くのに使用する筆
・小筆(こふで)…細字用に使用する筆
・庭紋筆(ていもんぴつ)…刷毛(はけ)の姿をした筆
・面相筆(めんそうふで)…穂先が極めて細く長い筆で、通常穂元を二段に仕立てている
・雀頭筆(じゃくとうひつ)…雀の頭のような姿をした穂の筆
・柳葉筆(りゅうようひつ)…柳の葉のような姿をした穂の筆
・提筆(ていひつ)…太い筆で、握るところが細くて穂元の膨らんだ筆
・達磨筆(だるまふで)…軸元の形をダルマの姿に仕立てた筆
・捌き筆(さばきふで)…穂先をのりで固めずにさばいたままの筆
・水筆(すいひつ)…穂に芯を入れず穂全体に墨をふくませて書を書く筆

○穂先の素材によっての呼称の一例
・兼毫筆(けんごうひつ)…二種以上の原毛をまぜ合わせて作られた筆
・羊毛筆(ようもうひつ)…羊の毛(毫)のみで作られた筆
・狸毛筆(りもうひつ)…狸の毛(毫)のみで作られた筆
・紫毫筆(しごうひつ)…兎の毛(毫)のみで作られた筆
・馬毛筆(ばもうひつ)…馬の毛(毫)のみで作られた筆
・鶏毛筆(けいもうひつ)…鶏の羽毛を使って作られた筆
・羽毛筆(うもうひつ)…孔雀、鶴、白鳥など、鳥の羽毛で作られた筆
・竹筆(ちくひつ)…竹の繊維を穂にした筆
・草筆(そうひつ)…わら、ほうき草などで作られた筆
・木筆(もくひつ)…木の繊維を穂にした筆
・胎毛筆(たいもうひつ)…赤ちゃんの生れながらの毛先で作った筆
・柔毛筆(じゅうもうひつ)…羊の毛など柔らかい毛で作った筆
・剛毛筆(ごうもうひつ)…山馬(鹿の剛毛)や馬などの硬い毛で作った筆
 
 
一般的な毛筆の原材料(胎毛筆を除く)

 毛筆の原材料としての毛は単に以上の獣毛が各一種類で一本の筆ができたものではなく、例えば、同じ馬にしても、立髪毛・胴毛・腹毛・足毛・尾・天尾(雨覆)等と部分による毛の相異があり、馬の産地による毛の違い、馬の年令性別による違い、採取の時期による違い等多岐複雑でありました。
 馬だけについても40〜50通りに切り、又は抜き分けた別があり、それが各動物の一つ一つについてでありますから総計は何百種にもわたることとなります。
 それを更に一本の筆を造る為には、この多種類の毛の中から筆の用途に応じ、各々毛の特質を活かすよう選り出しては数種を組合せ、交ぜ合せて作ります。
 しかし、どんな獣毛でも筆になるというのではなく、毛の極く細く、且つ柔軟で、中程よりだんだん剛く弾力があり、まとめれば毛に集合力もあり、かつ、墨含みのよいという条件が必要です。

 毛の中程がふくらみ根元で細くなっている狸・猫・兎・栗鼠(りす)の類、尖端(せんたん)からきれいな直線で根元が太くなっている馬・鼬(いたち)・貂(てん)・鹿胴毛の類、尖端(せんたん)から根元へかけてのふくらみが中程から急に太くなっている形の羊・鹿脇毛・山羊(やぎ)の類、各々毛の形質から来る力の特性を、製造する筆の用途・種類に応じて、数種ないしは十数種を組合せて一本の筆とするものです。微妙な毛の性質を知り、かつ組合せるには、多大な習練・技術を要するのです。

 
筆造りの技術(川尻筆)
 筆の町として全国に知られている川尻町は、広島県は呉市に近く、
瀬戸内海に面した静かな町です。当社の扱っている「胎毛筆」は、この川尻町で、お客様よりお預かりした胎毛から胎毛筆を製作しています。

 平成3年(1991年)に広島県伝統工芸品の指定を許された「川尻筆」の歴史は江戸時代の末期より始まったと伝わっています。
 天保9年(1838年)に川尻の菊谷三蔵(きくたにさんぞう)が摂州(現在の兵庫県)の有馬で筆を仕入れ、寺小屋などに置いて販売をしたのが始まりです。
 筆の商売で成功の後、村人に筆の製造が農閑期の副業に有利なことを説き、安政6年(1859年)上野八重吉が作ったのが川尻町における筆製造の始まりとされています。
 その後何人かの業者がつづき「川尻筆」としての産地形成をなし、その名を全国区のものとしました。
 現在においても伝統産業として技術の面、品質の面で研究を重ね高級銘筆メーカーとして全国のお客様に支えられるまでに至りました。
 更に、この毛筆製造技術を生かし、心に残る価値あるものを提供したいという願いから、古来から頭脳明晰,達筆祈願としてつくる赤ちゃんの筆「胎毛筆」を事業化し、全国の皆様に喜ばれております。


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